2018年6月29日:吉川八幡宮に行ってきました。

 阿宗神社のことを知りたくて、まず、八幡社について調べることにしました。
まず、岡山縣通史上編(永山卯三郎編集)の「第四十章 岡山縣下に散在せる石清水八幡宮の別宮及び宮寺領」(P564)に、
県下の八幡社について述べられている。その中でも近くの2箇所の吉川保(現吉備中央町)と水内庄(現総社市昭和町)に絞ることにした。
今回は、吉川八幡について現地に行ってみました。

吉川八幡宮について
 岡山縣通史上編(永山卯三郎編集)では、

郷社八幡神社 上房郡吉川村苅覆山鎭座
祭神 應神天皇、仲哀天皇、神功皇后

本社の創立は社記によれば
貞觀三年(861)九月二十六日なりと傳ふ。其後永長元年(1096)丙子八月十五日再興慶長九年(1604)木下肥後守(家定)社務所控所
を造營し、寛永十八年(1641)淡路守(利當)廊下を再興し、其後木下家に於て瘻々修理寄進等ありたり。神領地として三町五反歩を寄せ
られたるよし見ゆ。
一社の職員としては、大禰宜、小禰宜、右行事、左行事、又社僧としては又社僧としては金福坊、福仙坊、長福坊、井上坊、千藏坊等の六坊あ
り、應永二年(1395)癸亥八月社殿を再建し、又社僧寺をも改築し、改林山神護寺と名附けたるよし傳へたり。別當神護寺今尚存せり。
(天台宗)
一説によれば、本社は元天安元年(857)黒山八幡森に一小社を造營し、之を松原八幡宮と稱し、永長元年(1096)八月十五日現今の苅覆山に奉遷すと傳ふ。當時の記録として不明の文字多けれど棟札を存す。當時の奉遷官齋司、加夜國造神主禰宜十八座なりといふ。應永
二年(1395)十月十五日大禰宜宮部瀧磨の記事奉遷綠由記あリ。
應永二年再建の棟札は
(以下省略)


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 石碑より、本殿は国指定重要文化財、拝殿と随神門は県指定重要文化財であることがわかる。

光林山神護寺について
 光林山神護寺は八幡宮の別当寺であり、明治の神仏分離後も場所を遷して、現存している。

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(注)以下ネット情報より(抜粋)
 光林山神護寺は八幡宮の別当寺にして関係極めて深く、ここに之が縁起及び現態 に就いて畧述しましょう。 時は南北朝の終わり第九十九代後亀山天皇の元中五年紀元二千四十八年今よりお よそ五百六十六年前北朝後小松院の嘉慶二年和泉国より僧宗光、道光といえる名 僧、諸国行脚の道すがら山城国男山岩清水八幡宮の霊夢により備中国吉川の里に 来村、八幡宮の社殿甚だしく頽廃せるを歎き之を再建せ んと広く寄進を募り七
ヶ年の長年月艱難辛苦の末遂に応永二年紀元二千 五十五年旧に優る宏壮なる社殿を建造し、且つ御 神体の両側に自ら鋳造せる弥勒、地蔵の 両金銅仏 を安置す、尚これ迄神宮寺であった金福寺福仙坊 長福坊井上坊千蔵坊等の諸坊は悉く退転したの で、ここに新たに神社西手に宝蔵坊を建立して神 宮寺と した。これにより宝蔵坊は八幡宮の別当寺 と定められ住僧は世々社僧として奉仕することに
なった。 この光林山とは僧宗光、道光御来村のとき林間に奇しき光を放ちしという故事に より、且つ二僧の光の字をとりて名づけ、宝蔵寺は其の後に男山の神の護らせ給 う所より神護寺と改称せられ、いとも尊き寺院の名称となったのであります。 其の後天正二年五月火災にかかり全部を焼失したので同四年今より約三百七十八 年前、八幡宮社地から離れ今の寺の鼻前(石原金二郎氏家の前)に移転改築され たが、寺としての位置相応しからざるにより多数信者の意思を尊重して天和二年 今より凡そ二百七十二年前高燥明媚なる現在の位置に庫裏を建設し、客殿は享保 九年三月に建立したるものである。明治二年神仏引分けに際し吉川八幡宮境内に あった本地堂及び鐘楼(梵鐘とも)を神護寺境内に移築すると共に神殿御神体の 両側にあった弥勒、地蔵の両尊像を分離し、此の本地蔵(弥勒堂)にうつし其の 他仏具、仏書等寺院に属するものは全部移動したのである。

2018年5月17日:清音公民館主催の第1回ふるさと歴史講座に参加しました。

 清音公民館主催の第1回ふるさと歴史講座(「その後の鬼ノ城」)に参加しました。

 参加者に配布された資料(表紙)です。
その後の鬼ノ城

1.鬼城山ビジターセンター
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 鬼城山ビジターセンターの駐車場です。ここから鬼ノ城西門に向けて登っていきます。
 途中の学習広場に向かいます。緩い坂道も整備されていて歩きやすい道です。


2.学習広場
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 総社平野が一望でき、天気の良い日には四国も見えます。
 今日は生憎曇っていて、視界はよくありませんでした。

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 復元(?)された西門がよく見えます。外観は殆ど想像の産物です。
 西門は建築基準法上の看板相当のため、入ったり2回に上ったりはできません。
 城壁の版築は痛みがひどくなっています。
 現在体感できる遺跡や遺物が少ないため、一つのヒントにはなるかも知れません。


3.岩屋休憩所
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 遠方には総社市奥坂(岩屋部落)が見えています。ただ今、住人は1名です。

4.岩屋寺観音院
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 この寺の入口階段付近に「岩屋三十三観音」の一番があります。
 この一番から鬼ノ城周囲を巡り、ビジターセンターを経由して、犬墓山、馬頭観音、次に紹介する
 鬼の差し上げ岩までに、一部穴観音に移転されたものを含め、現在もすべてが揃っています。
岩屋三十三観音」については、こちらを参照ください。

5.鬼の差上げ岩(毘沙門堂)
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 数年前に岩が崩れていましたが今は修復されています。
 この大きな岩は、「
温羅伝説」のもとになった吉備津宮の複数の縁起にも記載されており、縁起成立当時から目立つ存在立だったことがわかります。
 「
温羅伝説」については、こちらを参照ください。

6.皇の墓
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 「岩屋山縁起」(岩屋物語)に記載された禅通太師の墓と伝えられています。
 鎌倉・室町の特徴があるようで、後世に建てられたものかも知れません。
 「
岩屋山縁起」については、こちらを参照ください。

7.新山鬼の釜
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 温羅伝説の鬼の釜と通称で呼ばれています。
 「
岩屋山縁起」(岩屋物語)にでは牲釜との記載もあり、これは犠牲(生贄)を煮る釜とも考えられます。
 しかし、時代が異なり、年代的にはここ新山が重源の作善集にある新山別所と比定されることから
 重源が東大寺の大湯屋に関わっていることからも、重源配下の鋳物師がこの新山で鋳たものかも知れません。
 総社市文化財課の職員は、サウナであると解説していましたが、東大寺の大湯屋は、サウナではありません。
 この新山の釜は、東大寺の大湯屋とおなじなら、体に流して清める湯を沸かす釜かもしれません。
 さらに、阿曽の鋳物師は近世後期に隆盛を極めており、重源の時代に寄与したとの記録はありません。
 逆に、重源によって新山に招聘された鋳物師には、後世阿曽で鋳物師を始めた一族が出てもおかしくはありません。
 しかし、この釜一つで伝承も含め様々な物語が生まれることは楽しいことです。
 「
重源と新山」と題して、拙論を掲載しています。こちらも参照ください。

7.新山大門跡
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 総社市の報告書があります。総社市史にも掲載されています。
 ようやく場所が特定できました。思ったところより更に下っていました。
 中世栄えた新山の入り口になります。
 この大門を登ると菩提坊(現能満寺の元寺)があった場所です。
 
岩屋物語岩屋の峯入)によれば、菩提坊は18世紀には存在していたようです。
 「
岩屋の峯入」は岩屋物語の一遍として翻刻しています。こちらを参照ください。

2018年6月3日:初稿



2017年12月16日:岩屋物語(穴観音の仏たち)が漸くまとまりました。

鬼ノ城さんの山麓にある穴観音と呼ばれる霊場がある。
穴観音の「穴」は横穴式古墳の玄室を意味し、それを転用して、その鏡石や石壁に仏の姿や仏を意味する梵字(種子)が線刻された祠(ほこら)である。

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穴観音の観音は観音仏を本尊としていると一般的には思われる。
しかし、近世以降の史料と現存する線刻像とはかなり異なっていることが気がかりになってきた。
本書は、これらの疑問を解くために、関連する史料を列記して、検証したものである。

不明な点も多く、今後の課題も多いが、今までにわかったことをひとまずまとめることにした。
新たな史料が見つかれば、改定されるものであるが、一つの試みとして、ご笑覧いただければ幸いです。

岩屋物語(穴観音の仏たち)』
(ホームページの知楽通信より)

2017年12月16日

2017年12月13日:六道古道を歩きました。

吉備路の山全山縦走大会のコースの一部になりますが奥坂(後原地区)から足守(大光寺付近)への山道を歩いてみました。岩屋近辺の古道を確認することにもなります。
約1時間の楽勝なコースです。

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六道峠の道標です。いわや、にいやま、あしもりへの方向が示されています。


現在の総社市黒尾を通って岩屋に行く道は自動車の普及によって整備されました。それ以前は、総社市奥坂(阿弥陀が原地区)、奥坂休憩所の付近ですが、から血吸川沿いに行く岩屋道、新山に行く新山谷の道があります。

岩屋道が主要道の時代には、奥坂休憩所に仮小屋をつくり、岩屋の人はこの仮小屋に置いていた自転車で総社方面に行き、帰りはここに自転車を置き、歩いて岩屋に向かったそうです。また、新聞はこの仮小屋までしか配達されず、岩屋の人がついでに持ち帰っていたそうです。

今は岩屋道がウォーキングコースとして利用されています。途中には鬼ノ城山に登る阿弥陀が原登山道もあります。登りはかなり急です。

今回は、総社市奥坂(阿弥陀が原)から岡山市大井(百田)へ抜ける百田乢(ひゃくだたわ)、六道峠、鉄塔、足守大光寺付近へのコースです。
詳しくは、「六道古道(仮称)を歩く」をご覧ください。

2017年10月8日:たたら操業と備中神楽がありました。

鬼ノ城たたら倶楽部のたたら操業がありました。
年1回の操業ですが20回ほどになるそうです。
今年は昨年のたたら操業のケラから小刀を鍛造したそうです。
例年、阿宗神社のお祭りと同じ日なので、今年は最後のケラ出しは見ないで、阿宗神社に向かいました。

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阿宗神社の備中神楽です。
子供会の夜店も出て大にぎわいでした。

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2016年5月17日:圓教寺・姫路城・浄土寺へ行ってきました。

 お寺さんのバス旅行で、書写山圓教寺の常行堂で座禅体験(天台宗では止観)、圓教寺は天台宗です。
 座禅の姿勢は最もリラックスしたもの(躰を締め付けるものを全て取り除く)でした。
 座禅の固定観念を破る貴重な体験でした。

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 姫路城は、ほとんど待ち無しで天守まで登ることができました。
 噂の白さは少しくすんでおり、不自然な感じはありませんでした。
 石垣が意外と整ってないので、面白いアングルでお城を撮影しました。

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 最後は、浄土寺です。
 阿弥陀三尊が西日にあたり、光背から赤い日差しが差してきます。
 実に神々しい雰囲気です。さらに快慶作ということで、ありがたさが増します。

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 浄土寺は東大寺再建の勧請で有名な重源が開山です。
 実は、お寺さんは、元は備中の新山にありました。
 重源の「作善集」に「備中別所」と記載されている場所に比定されています、
 このことは、最後の最後になってご住職が説明されました。
 

2016年2月4日:岩屋道を歩いてきました。

 久しぶりに奥坂休憩所から血吸川沿いに岩屋入口経由で鬼ノ城北嶺ふもとから北門、いつもの第2展望台、そして東門から阿弥陀原登山道を下って奥坂休憩所に戻ってきました。
休み休みで約3時間程度の運動でした。岩屋道は半分程度を消化しただけです。後日、岩屋付近を歩く予定です。

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 途中の鳴谷橋です。ここで岩屋道と血吸川が交差します。
 詳しくは、
こちらをご覧ください。

2016年1月19日:雪がふりました。

 今年初めての降雪です。
棚田の雪は毎年1回程度です。

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2015年12月19日:最終回の大和十三仏巡りに参加しました。

 第4回の大和十三仏巡りに参加しました。今回で終了です。
郊外の長弓寺と円成寺、そして東大寺近くの新薬師寺でした。
 とにかく奈良はすごいです。改めて国宝だらけといった感がしました。
 一般に有名なお寺と違って、参拝者も少なく、静で、般若心経も心落ち着かせてくれました。
 写真は長弓寺の燈籠が珍しく、撮影してみました。

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2015年11月21日:大和十三仏巡りに参加しました。

 第3回の大和十三仏巡りに参加しました。

今回は、第11番 信貴山玉蔵院 阿閦如来、
第1番 生駒山宝山寺 不動明王、
第2番 勝宝山西大寺 釈迦如来、
第13番 熊凝山大安寺 虚空蔵菩薩でした。

 宝山寺は崖の下のようなところにあるお寺で、その崖の中腹には弥勒菩薩がありました。
望遠で撮影しました。

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 玉蔵院の阿閦(あしゅく)如来は珍しい名前でした。又、十三仏ではないのですが大安寺の楊柳(ようりゅう)観音は憤怒の目に口を開けている表情でした。仏師の独創性に感じ入りました。

2015年11月12日:美保神社に行ってきました。

 美保関から美保神社に寄りました。

美保関灯台の風景がきれいでした。右端にあるのが灯台です。

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美保神社です。事代主が祀られています。備中神楽の国譲りにも登場します。社は個性的です。

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美保神社(美保社)は阿曽地区(総社市阿曽)の国際ゴルフ場脇にもありました。
阿曽の鋳物との関連がないか気になっています。阿曽は港と縁がない地理環境です。
毛利氏は銀を美保港から積み出していたようです。
その後、石見銀山が幕府直轄になってからでしょうか陸路(銅の道として尾道まで)が整備されました。
鉄の港は安来が常識のようです。近世以降たたら全盛時代の港なのかもしれません。

2015年11月11日:石見銀山へ行ってきました。

 世界遺産に登録されている石見銀山へ行ってきました。
鉄とは関係ないのですが、近世の島根地方の2大産業として関心がありました。

ガイドに案内してもらいました。

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見学できる龍源寺間歩です。鉱脈を串刺しするように掘られた坑道です。

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鉱脈に沿った採鉱は人一人がやっとの狭い坑道だったようです。
なお、鉱夫は短命のため、子供には手当が出ていたそうです。
善政は時代に縛られていないようです。

2015年11月2日:石仏と霧の鬼ノ城です。

 珍しい風景です。
石仏が一層神秘的になりました。

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2015年10月24日:第2回の大和十三仏巡りに行きました。

 第2回の大和十三仏霊場のバスツアーに参加しました。
第2回は、霊山寺、金剛寺(矢田寺)、おふさ観音です。
 写真は霊山寺(国宝本堂)です。

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2015年9月27日:大和十三仏霊場巡り始めました。

 大和十三仏霊場のバスツアーに参加しました。
第1回は、安倍文殊院(文殊菩薩)、長岳寺(普賢菩薩)、当麻寺中之坊(弥勒菩薩)です。
 安倍文殊院の文殊菩薩は「渡海文殊菩薩群像」として安置されています。
その内の維摩居士像(安土桃山)との関連に関心がつきません。
 写真は、本堂です。

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2015年5月23日:「血吸川を歩く」案内資料です。

 岡山市高松公民館クラブの「高松いきいきウォーク」(平成27年度6月実施)での案内資料ができましたのでお知らせします。
計画には沿っていますが、最終決定の内容とは異なることがあります。なお、文責は全て筆者にあります。
鬼ノ城山麓の血吸川に沿って、遠景に鬼ノ城山の山並みを見ながらのウォークとなります。
また、鉄に関わる歴史や山岳仏教に関わる歴史が多く残っています。
 これらにも思いを馳せることによって、目の前の景色ばかりでなく、頭の中の景色も晴々しいものになるのではないでしょうか。

こちら「
岩屋物語(血吸川歩く)」をどうぞご笑覧下さい。

2014年11月27日:鬼ノ城の秋です。

 秋真っ盛りです。
鬼ノ城をいつもと違う東側の足守川から撮影してみました。
総社平野から見る鬼ノ城とは、かなり趣がかわります。

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 左から西門、そして右端が第2展望台になります。
 空が少し曇っていたのが少し残念なことです。

2013年11月17日:古文書入門講座修了しました。

 2013年4月から岡山中央図書館の古文書入門講座に参加していました。
11月17日まで合計14回(2回欠席)開催され、本日修了となりました。
基本を学ばせてもらいましたが読解能力は低迷のままです。
これも続けることで底上げできると信じることにしています。

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2012年11月25日:朝焼けが感動的でした。

 秋もだんだん深まって、付近の山の木々も色付いてきました。
朝の冷え込みもだんだん厳しくなっています。
ふと見た風景は、朝日が背景の鬼ノ城を照らして、その紅葉の色を浮き立たせていました。

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2012年10月2日:鬼ノ城からの棚田風景

 久しぶりに鬼ノ城に行って来ました。
いつもの撮影場所の第2展望台です。
棚田の 一部で稲刈が始まっています。

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2012年4月15日:鬼ノ城からの棚田風景

 久しぶりに鬼ノ城へ阿弥陀原登山道から登りました。
桜が満開なので、その風景を撮影するためでした。
いつもの第2展望台の石垣から撮影しています。
山沿いと血吸川沿いに点々と桜並木が映えています。
中心下にある白いハウスが地食べ(野菜つくりの拠点)になります。
まだ、キャベツの苗は小さいのでよくわかりません。

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2011年9月27日:鬼ノ城からの棚田風景

 久しぶりに鬼ノ城に登って来ました。
稲刈を待つ棚田が金色に輝いています。
いつもの第2展望台で300mmのズームで撮影しています。


2011年5月12日:珍しい血吸川の増水

2011年5月12日:珍しい血吸川の増水です。
昨日来の珍しい大雨の影響で血吸川が増水していました。
一部コンクリートで補強されている高さまで水が来ています。
遠くの鬼ノ城は霞んで見えません。


2010年12月17日:鬼ノ城からの棚田風景

天気がいいので久しぶりに鬼ノ城へ行ってみました。
いつもの、第2展望台です。
右手前の白い煙は第2回目の炭焼きの煙です。


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